防弾少年団とBTSとARMY

うーん。私は日本人だし、日本で生まれ育ってるからよくわからないのだけど。

 

私が初めて好きになった韓国人は東方神起だった。

韓国って絶対に兵役ってものがついて回る国だから、日本みたいにグループで活動するのって大変だと思う。

絶対に個人活動をしなきゃいけないし、全員戻ってきたとしても、同じように人気があるとは限らないと思う。

そんなとき、日本での活動って大きなものだと思う。

 

東方神起も5人から2人になったけども、兵役終わって日本での活動も積極的にしてくれて、ファンもしっかり根付いてると思う。

日本人ってどっちかというと、長く待てるのかなと…。

年齢関係なく、私は◯◯のファンだよ、もうずっと応援してるんだよ、って別に恥ずかしいことと思ってないし、むしろ生き甲斐にしてる人がたくさんたくさんいる。私もそんな大人のひとりだ。

だけど、韓国っていい大人がオタク活動してるってあまり大きな声で言えないっていう風習があるのかなと。今はだいぶ変わってきてるとは思うけど、私がKポを好きになった頃は少なくともそうだったような気がする。

 

BIGBANGのV.Iがいまソロ活動してるけど、この方も日本ツアーを積極的にやってくれている。

 

これってやっぱり日活は大事だってことなんじゃないかな。

やっぱり日本って小さな国だけど、大きな会場がたくさんあって、環境が整っていて、コンサートでは大勢の人がマナー違反しないで見てる(一部を除く)。海外みたいにコンサート中スマホやカメラを堂々と掲げて撮る人もいない。(こっそり撮ってる人はもちろんいるけど)

日本でしかコンサート見たことないから、あの異様な光景はとっても不思議に思う。

演者から見たら、スマホやカメラが無数に向けられていて、でも海外だからって思ってるのか、それとも別の感情なのか。

それなら日本は5万人もの人がいる会場でなぜそのようなことをしないのか。

これも風習なんでしょう。基本的には許可がおりてる公演でしか動画や写真は撮れない。

でもこれって演者からしたらきっととても穏やかに公演できるんじゃないかな。

こんなふうに大半の人がルールを守ってコンサートを楽しむ国って、他にありますか?

 

今、BTSのファンは世界中にいるけど、メンバー7人全員が兵役終わって戻ってきたとき、韓国のファンは今と変わらず熱狂的でいられるのかな。それは誰にもわからない。

 

 

でも将来的に考えてみると、日活がマイナスになることは無いような気がする。

秋元康とのコラボが実現しなかったことは色々な意見があるだろうけど。

私は別に秋元康のこと、まったくと言っていいほど興味はないが秋元康もまた、今や世界中が注目している防弾少年団とのコラボを楽しみにしていただろうし、そのためにたくさん作業してくれただろうし、それはなんとなくごめんなさいって思う。

 

私は少年団が日本のファンのために、それを聞いてくれる世界中のファンのために、努力してくれた「Bird」聞いてみたかったかな。

僕達世界の防弾少年団だけど、これからも日活するからよろしくねって意味もあったような気がしてなりません。

 

※これはあくまでも私の個人的な考えです。

 

近い未来に笑っていられますように2

47都道府県ツアーでも当たり前になってきた遠征をした。でもまだ一緒に遠征できるようなオタク友達はいなかった。

地元公演では一緒に動いてくれる友達もいたが遠征するほどのファンではなかった。

空港からメンバーが乗っているバスを追いかけたり、会場から出てきたメンバーを追いかけたりもした。(そのお陰で運転がかなりうまくなったww)

 

そんなある日、すばるとFiVeが一緒に活動することになる。

そう「Flat FiVe Flowers」(通称フラフラ)

私の推測にすぎないが、きっとこのバンド活動をきっかけにすばるは自分のやりたいことが明確にわかってきたのだと思う。

この話は実は知っている人もいるだろうが、本当はソロ活動の一環でこのバンドでのCDを出す予定にはなっていたらしい。でもきっと関ジャニ∞としての活動を疎かにしてはいけないということだったのだろう。関ジャニのメンバーもグループよりソロを優先することに少なからず不満があったらしい。本当のところはわからないがすばるのギターからフラフラのステッカーが消えたのが結果だと思う。そしてのちの2010年に関ジャニ∞として初のバンド形式のCD「LIFE~目の前の向こうへ」をリリースすることになる。

フラフラの話に戻るが、preyを披露したときからFiVeもなかなか好きだった(隠れ牧野担だったのは私です。土下座の絵文字)ので嬉しい反面、なんだかモヤモヤ感を覚えた。すばるがFiVeとバンドをすることをFiVe担の人達が良く思っていなかった。

すばるがリードボーカルをすることで間違いなく知名度は上がった。だがFiVe担からすると、知名度はあがってほしいがメンバーが作詞作曲して力也が歌うはずなのに渋谷すばるが歌うことに納得できない。すばる担がFiVeを好きになりライブに押し掛ける。そんな光景がイヤになったのだろう。

こんな事態になり私のように密かに応援していたFiVe担は少なからずいたが、そういう人はこっそりと応援するしかなかった。

でも私のこの性格だ。気になってきたらはまるタイプ。どんどん牧野にのめり込み、掛け持ち状態。オタクの世界で本当は良くないと言われる掛け持ち。それは十分わかっていたので少しの間、掛け持ちを辞めた。

力也担の子を紹介してもらい一緒に動く友達に出会えた。(その子を紹介してくれた子は今でも一緒にコンサートに行ってくれる友達だ)私達2人は完全にイカれてた。いや、私達だけじゃない、あの頃は仲間(昔は身内と言った)みんなイカれてたww

私は途中から仲間に入れてもらった。(というか勝手にそう思っている)そのおかげで人生最大の事件がおきた。結局ジャニーズもアイドルという職業の1人の男でそこら中にいる若者に過ぎないのだ。ヤラカシは批判されても仕方ないが、私達はその行動でアイドルの隠れた部分をプライベートな部分を見たくて仕方なかったのだ。みんなが知らないアイドルの姿を何度もこの瞳で見るうちに感覚がおかしくなってくる。もちろんアイドルは商品ではあるが、ファンの自己欲求を満たすための道具でもない。ただ芸能人というアイドルという立場上、見られるということはついて回る。それを悪用してるようなものだ。だから自分達がしてきたことを正当化するつもりも一切ない。だけど地方ヤラはしょせん地方のヤラカシ。実際は彼らも地方で羽を伸ばしていることも確かで、普段は見ることのできない姿を見ることができるし、彼らもまたそれを見せている。そしてそんな姿に興奮する。

そして口癖は決まってこれだ。

 

「気持ち悪くてごめんなさい」

 

最高しかない。この言葉を牧野に言って大爆笑されたこともあった。コンビニで買い物してるところに入っていって一緒にお買い物をした。使ってる財布や買ってるタバコ、飲み物、同じ物を買って自己満足。本当に気持ち悪いのに、すばるくんは笑ってた。普通に優しくされるから余計辞められない。無限ループだった。

そのうちなんか知らないが地元スタッフにみんな夢中になっててクソ笑ったwwスタッフに夢中になってそっちを追っかけたり、空港でファイターズが来たから見に行ったらメンバー見過ごしたり思い出せばきりがないくらい楽しかった。

正直、ここに書けないようなことばかりたくさんしてきたけど、今ではすっかり落ち着いて、北海道でのコンサートしか入らなくなったし、空港はおろか、ホテルもご飯食べてるところも行かなくなった。

若かったたあの頃、関ジャニ∞には人気になってほしい反面、遠くなる気がして寂しかった。近いところで見れていた彼らが見えなくなるのが怖かった。

同担拒否。身内以外みんな敵。身内の同担拒否。そんな言葉を連ねたブログやリアルをみんな書いてそこから繋がった友達が多くいた。結局オタク性質な人間は辞められないのかもしれない。

 

細かく書きたくても、私の渋谷すばる人生は、関ジャニ∞人生は20年もある。ただその20年という年月でオタクをしたことは今でも私の大切な思い出となって支えとなってるに違いない。

数えきれないほどの遠征と、コンサートに行った。たくさん友達もできたが、今でも付き合いのある人はごくわずかだけど、その友達みんなには感謝してる。語りつくせないほどたくさんの想い出がある。すばるがいたから出会えた大切な友達もいる。遠く離れててもいつでも仲良くしてくれる妹のような友達がいる。毎年一緒にコンサート入ってくれる友達がいる。それは本当に本当に私の宝物だと思う。

 

同じ時代を生きてこられて本当に良かった。この約20年という月日は間違いなく私の青春時代そのもので、私のこの年月はすばるくん無しでは語れないほどだ。私をそこまで夢中にさせてくれた渋谷すばる関ジャニ∞には無限大の敬意を払いたい。君たちがいてくれたから、私の人生とっても楽しかったしたくさん色々なこと経験させてもらったよ。この先6人の関ジャニ∞を見に行くことはもしかしたら無いかもしれない。だけど変わらず応援はしてる。

 

今日から6人の関ジャニ∞

1人の渋谷すばる

 

本当はずっとずっと8人でいてほしかったけど仕方ないことなんだ。

最後の演奏で涙を流した錦戸を見て、この7人最高だと思った。

言葉にすると安っぽくてつまらない表現しかでない自分の語彙力をうらみます。

 

だから、ありったけの愛を込めて。

 

 

すばるくん。

すばるくんにまた逢える日を心待にしながら、私も精一杯生きていきます!

ありがとうございました!

そしてこれからも自分に正直な渋谷すばるでいてください!

 

 

近い未来に笑っていられますように1

2018年4月15日

この日は、これから先の私の人生を大きく変える1日となった。

 

私はオタクだ。強めのオタクだ。その中でも関ジャニ∞渋谷すばるを贔屓している。世の中でいう推しだ。

私の推しは渋谷すばる。(36歳ジャニーズ事務所所属)

私がオタクになった理由はいずれまた別の機会にでも書くとして。

 

すばるを好きになったのはMステでジュニア時代に披露した「愛してる愛してない」のときだった。何気なく見ていたテレビで、小さいカラダの美少年が歌っていた。

声質が好みだった。顔が整っていた。細かった。(それは今も変わらない)今でもしっかり覚えているあの日。

その次の日から雑誌などで「渋谷すばる」を調べまくった。関西ジュニアの1人であることを知りそれからというもの、すばるがテレビに出るときは必ずといっていいほどビデオテープに録画した。いまと違ってDVDやHDDがない時代、録画に失敗して死にそうなくらいの悲しみに満ちた日もあった。

 

私の心をわしづかみにした彼は、関ジャニ∞としてデビューすることになり、旗をもって会見をした。

ジュニア時代から共に頑張ってきた村上横山錦戸をはじめ、計8人で関西ジュニアからデビューをもぎ取った彼らはやる気にみち溢れ、そんな彼らを応援しない理由はないと思うほどに私のオタク精神に火がついた。

 

しかしすばるにも、暗黒時代はあった。ジュニアのころ、東のタッキー西のすばるとして人気を風靡した彼だが、デビューの3年くらい前、テレビはおろか雑誌などの露出が一切無くなった。私はもしかしたらジャニーズを辞めたのではないかと心を痛めた。今とは違いインターネットの普及もなかった時代。一体どうなっているのか待つしかなかった。

 

そしてすばるはまた戻ってきたが、右手の甲にタトゥーが。少クラで渋谷すばる&FiVe(ヤバイくらいのかっこよさだった)として披露した「prey」でギターを弾く彼の右手には手袋のようなものがついていた。(このバンドはのちにすばるのジャニーズ音楽人生を大きく左右するバンドとなる)

いまではキレイに消えているが、彼なりの未来への約束だったのだと思う。歌詞にもあるように「刻んだ右手に祈りを」。絶対にデビューして、いままでの自分を越える。だけど辛かったときを忘れちゃいけない。そんな想いがあったのではないだろうか。

こんなイチオタクが簡単に言えるほどのことではなかったはずだ。若い頃に親元を離れ遠い東京で過ごすということは、並大抵なことではない。大人になってから親元を離れた私でさえ寂しいと毎晩思ったのだから。

そうしてまた大阪に戻りみんなと頑張っていくうちに、希望が生まれ奇跡的な8人が集まり関ジャニ8(このころはまだ8表示)が誕生した。

 

この8人が出会えたのは本当に奇跡だ。奇跡と言う名の運命だ。

 

しかし錦戸と内がNEWSとしてデビューが決まり、雲行きが怪しくなった彼らは社長に直談判したらしい。

 

2004年8月25日 関西限定デビュー

9月22日 全国デビュー

そうしてなんとかもぎ取ったデビュー。ジャニーズでは異例の地味なデビューだった。しかも演歌(笑)

それでもデビューしてからは、私は夢中だった。最初のころはSMAPと掛け持ちだったがいつの間にかSMAPのことなどどうでも良くなるほど、関ジャニ∞にのめり込んでいった。

 

そして2004年11月。東京フォーラム

私が初めて行った関ジャニのコンサートだった。初めてのコンサートが遠征という田舎娘にはハードルが高すぎて飛べないほどのハードルをなんとか飛び越え(しかも一人ww)2階席から野鳥の会をしながら泣いたという気持ち悪いオタク丸出しの大人になりかけた大人がそこにはいた。

当時付き合っていた彼氏に内緒で行った東京。初めての東京。地元からバスと汽車を乗り継ぎ、訳もわからずなんとか飛行機に乗り空を飛んだあの日は絶対に忘れない。

今でこそ遠征なんぞ当たり前の世の中だが、昔は違った。ましてや北海道から東京へアイドル見たさに飛ぶ人達はそこまで多くはなかったはずだ。

そしてその遠征があまりにも印象深くてアイドルに会うという現実離れした行動はエスカレートしていくことになる。

次の月の12月。私は念願だった松竹座のコンサートへ行った。(また1人www)初の大阪。

 

あの狭い空間でとにかくすばるを見まくった。内容はDVDになっているので省略するがとにかく近くて最高だった。

 

しかし、皆さんもご存知のとおり錦戸と内のあの事件で、内が脱退することになり7人で活動していくこととなる。

 

そして2006年9月。待望の北海道公演。

そう、私はこれが関ジャニの伝説のコンサートだと思っている。

地元公演ということもあり、ホーム感むきだしで真駒内へ乗り込んだww

とても楽しかった。きっとこの日があったから私はファンでいられたのだと思う。

もちろん初遠征でも胸が震えこの関西臭どっぷりな8人はこの先の私の人生で最も応援していける人達だと確信はしたが、やはり地元公演は違った。

 

そう、それはいわゆる追っかけだ。キレイな言葉で言えば追っかけだが、実際は地方ヤラ。この頃はまだそうでもなくて、空港で見たいと思うくらいだったが、それもまたエスカレートしていくことになる。

 

そうして47都道府県ツアーがはじまり、オタク友達が徐々に出来はじめた。

そしてついに追っかけの気持ちが抑えきれなくなりはじめる。そうだ、頭のおかしいオタクへと変貌を遂げはじめたのがこの頃だ。

 

2へ続く

 

 

 

 

はじめに

このブログは、私自身の気持ちや思ったことを綴る日記であります。

どこにでもいる普通のOLが書いてますが、ただひとつ注意すべきことは、いまだにオタクをやめられないでいるということ。

それでもなんとか生きてます。

 

では、次回はいまどうしても残しておきたいことを書きます。